5月か…
今朝きづいた
先月28日からウォーキングを再開しました。
わたしは自分の体調を早く整えないといけない
次の肝機能検査日まであと20日 少しでも良くしないと。
その前に朝、氏神さまにお詣りにいってお礼を伝えました
わたしが寝込むことなくレオンの世話が出来て、
最期の時まで見守ることができたこと
ずっとレオンに集中できた環境であったこと
レオンはおうちで安心して旅立てたこと
ほんとにほんとにありがたいことでした。
歩くのはレオンと昨年桜を見た並木道まで
往復1時間
きれいな葉桜になっていた
歩きながら考えるのはレオンのことばかり
自転車から降ろしてもすぐには歩いてくれなかったっけ、とか
あの小さな桜の木の横の石に立たせてから写真を撮ったな~とか
歩きはじめたらどんどん違う方向にわたしを引っ張って行っちゃったよね、とか
保育園児のおさんぽ行列に出会って「かわいい~~♪」の大合唱を浴びたよね、とか
いろんなことを思い出した
元気だったころのレオンは抱っこが苦手で
ソファーにすわって わたしが「レオン!な、か、よ、し、しよう~」と手招くと
ピョンとソファーに上がってきて わたしの体にひっついて体重をあずけてくれた。
でも そのレオンを「好き好きー!」と抱きしめると いつも
「いえーい、やめてくれい!」と逃げていたよ 笑
そんなレオンを 思う存分抱っこの生活が出来た。
抱っこしないと寝ない
降ろすときゃーんきゃーん!
しまいには横たわるレオンの体に覆いかぶさり体重を預けて
両手で顔を包み ほおずりしてうっとりしていたら
きゃーんきゃーん!が静まり1分もかからず眠るようになった。
わたしの密着した体に、重みに、安心するのか
体力がもうなくなっていたのかわからないけど
たくさんたくさんレオンと密着できたなぁ
もっと長くもっと長く、とは思ったけど
悔いがないくらい一生懸命にレオンのお世話ができた
いろんな工夫もいっぱい 頭をフル回転させた。
しあわせな時間だった
歩きながらそう思えてきて、さみしさや悲しさより
ありがとうと愛しさで 心が温かくなっていた。
そんなことを感じていたところへ
きのう、わん友ママさんからこの本を頂いたんです。
大好きで何度も読んでボロボロだけどどうぞ、って。
本に登場するコーギーちゃんとおかあさんが
レオンとわたしに重なってずっと見ていたんだよ、と言われた。
「読んでみてほしかったけど、さいごはコーギーちゃんが死んじゃうから渡せなかった」と。
青字は本の抜粋
蘭丸の死に関して言えば、私はまったくペットロスを経験しませんでした。
理由はいくつかあります。
まず、蘭丸の病状が少しずつ悪くなり、介護の時間が長かったため、お別れの心の準備が自分なりにできたこと。
また、飼い主として出来る限りのことはやったという達成感。
そして何より、蘭丸を抱き、最期はこの手で看取ることができたということです。
これを読んで納得ができました。
レオンの写真を飾って安心して
看病はその期間 心配だったけど幸せだったし今はもっとそう思う。
きっと家族みんながいつまでも悲しみに暮れないように
レオンが与えてくれた時間だったんだと思う。
『ぼくは病院でなんか死なない
たくさんたくさん おうちで甘えてからいくよ』
昨年6月に退院して帰った時に
わたしにはそう聞こえた
レオンは満足するまで死なない
そう感じたのは正しかった、と確信しました
この本で。
犬は死ぬ瞬間を自分で決めて旅立つようです。
そして
家族として大切にされたペットは、飼い主が死ぬ時、天国から必ず迎えに来てくれます。
レオン、また会えるね❤
ロッキーもね❤
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