IRO☆IRO

日常のいろいろ*わんこ、花、ハンドメイド、たまに羽生くん…

タイトルは思いつかない…

きょうのブログ記事は思い出話になりそうです

祖母のこと*

 

 

わたしの父は転勤が多かった

高校生のとき、わたしは寮生活をしていました。

2年生の時に、遠いけど通学可能な場所へ実家が転勤になり、

寮を出たかったのですけど

ちょうどその頃に祖母を家に迎えて両親が介護をすることになったんです。

確か、うちで飼っていたわんこを転勤先では住宅事情で飼えなくなり

祖母に預けている期間に

わんこの散歩中に祖母が転んだのがきっかけで弱っていったという記憶が…

そんなこともあり部屋は狭く、通学時間もかなりかかりそうだし、と

寮を出るのはあきらめて卒業まで我慢しました。

休日に実家に泊りに帰ってから寮に戻る日

「おばあちゃん、またすぐ帰ってくるからね、元気でね」とバイバイして玄関を出たあと

忘れ物を思い出して部屋に戻ったら、なんと一人では歩けない祖母が

ベッドから出て、家具伝いにヨロヨロとこちらに向かっていました。

「emaを見送ろうと思ってな、」と涙を浮かべた目で笑っていました。

「おばあちゃーーん♡」

 

わたしがあのまま駅に向かっていたら気づかなかった祖母の姿です。

父と妹はいなかったのかな?覚えていないけど、母も玄関に出ていたので祖母の行動に気づきません。

今でも思い出したら泣いてしまう愛おしい祖母の姿です。

 

そして 高校卒業して進学する時には、広島市内の叔母の家に祖母は移り

わたしが実家に戻ったんです。

 

そんなある日、わたしは休日で広島市内へアルバイトに出かけようとしたら

父が「いっしょに少し早めに出て、おばあちゃんの顔を見ようか」と言うので

父の車で叔母の家へ行きました。

祖母は足が弱り自由に動けないだけで食欲もあり、どこかを治療しているというわけではなかったんです。

でもその日は朝からいつもとちょっと違う様子で、近所のかかりつけ医に往診に来てもらったんだと叔母が話していました。

特別心配はいらないとはいえ眠たそうなもうろうとしたような様子の祖母に

「おばあちゃん、わかる?emaだよ」と話しかけたりして過ごしたあと

アルバイトにはこのまま行けないよ、と迷っていたら

なんと祖母がベッドの枕元の棚を指さして、何かをとってほしそうにする。

叔母がそこにある財布に気づき「emaにおこづかいを渡してやりたいんだわ」と。。。

え!そんな、、おばあちゃんこんなにもうろうとしているのに。。

 

そうこうしているともっと様子が変わってきて、すぐにまた先生の往診をお願いして

先生がかけつけてくださって、そのまま祖母は静かに旅立ったんです。

父とわたしは おばあちゃんに呼ばれたんですね、側に居てほしいと。

 

 

 

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子供の頃に祖母にもらったにおい袋

 

 

 

祖母は頼りになる長男(父)と、末っ子で一番可愛い娘(叔母)の家でちょうど半々くらいを過ごして

孫たちに慕われて、かかりつけの先生までもが羨ましいと話されるくらい

しあわせな晩年でした。

子供の頃からとても苦労した人ですけど、わたしたち孫は休みになるとみんな

祖父母の家に集まって春、夏、冬休みを一緒に過ごし

親の言うことをきかない子も、おばあちゃんのひと言には「はい!」という(笑)

マイペースで楽しい、ときには強い祖母でした。

 

 

 

毎朝必ず拝見するようになった長尾先生のブログに

今朝は尊厳死、平穏死 について書かれていました。

もうずっと コロナ、コロナ、と一番の恐怖みたいな感じの日々ですけど

大切なことや恐れることはほかにもたくさんあって

こうしている間にもそれぞれの厳かなお別れがあって

わたし自身が頭の中の考えることの配分を改めようと思えた記事でした。

静かでしあわせな最後だった祖母のことを思い出し、

書きとめておきたくなりました。

両親のこと、自分自身のこと として向き合わないといけないこれから

最善の選択ができますように、と願いを込めて**

 

さいごまで読んでくださってありがとうございます

 

 

 


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